『narcissu』
同人ノベルゲーム界に死生観という点で、余りにも大きな爪痕を残した偉大なる作品。
そんな作品をようやっとプレイ出来たので、
その感想を…このタイミングで。あの冬を思い出しつつ並べていこう。
・DLリンク(作品DLページ:steam)
https://store.steampowered.com/app/264380/Narcissu_1st__2nd/
・作品詳細データ
サークル『ステージ☆なな』より2005年8月に発売。同サークルの作品には、『雨のマージナル』、『冬のポラリス』等がある。
2000年までの作品は泥酔しながら作ったとしか思えないモノなのでやらなくても良い。
サークル作品情報の詳細『erogamescape -批評空間-』該当ページのリンクを以下に掲載しています。
https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/brand.php?brand=1351
・感想
「眩しかった日のこと、そんな冬の日のこと」
1作品目、無印『narcissu』から語る事に。
結論から言えば、2時間強でプレイヤーの感情を破壊してくるシナリオ構成に脱帽した。
あらすじを、キャッチコピーを、冒頭を見ただけで、露骨に"死"を悟れる。
しかし、死への過程の存在とその結末を知っていても、ここまで心を貫く作品があっただろうか。
※当ブログでは、ストーリーの詳しい内容には触れずに感想と特徴を展開していく事を、改めてここで、このタイミングで記載しておく。
ストーリーに触れずとも感想を介してネタバレを被る事が多々ある為、未プレイの読者はここで踵を返すべきだ。
同様に、この作品に対しての純粋な感想が見たい方々は、別のライターの方の記事を読むことをお勧めしたい。
さて、ここらで少し深く、タイトルに思考を向けて欲しい。
『narcissu』というアルファベットの羅列を見て不思議に思わないだろうか。
この作品のモチーフになっている「ナルキッソス」の本来の綴りは"narcissus"であるはずだ。
では何故、末端の"s"が省かれているのだろうか。
"s"を省く、即ち"s"が頭文字のマイナスイメージを持つ何かしらの英単語を払拭しているのではないか。
私は、このような思考に辿り着いた。
真っ先に思い浮かぶのは「suicide」-これは、作品冒頭の自殺者データと結末に関与しているからだ。
他には「sick」であったり、「spinster」「servile」等がシナリオの表面上だけなら考えられる。
(意味がわからない人向けに辞書のリンクでも載せようと思ったが、あまりにも失礼すぎる為、各読者に委ねる。)
しかし、「sick」は不適切で、「spinster」はセツミの口から"生涯の伴侶"という言葉が出ている他、用法的にも怪しいので除外。「servile」は意味的には可能性を感じるが、どうにもやはり、「suicide」と比べると弱い。
一旦、"narcissus"-"suicide"で物語に照らし合わせてみる。
「嗚呼、成程。」
これが答えに、一人だけが知る真実に他ならなかった。
つまりは、『narcissu』においてセツミにとっては"suicide"ではない事を意味していた。
あの場に居なかった者はありふれている自殺者の中の1人でしかないが、そうではなかったからだ。
その為に敢えて"s"を省いたのだとしたら…。
その考察が意味を成すなら他媒体でも自殺者データは載せろよ何してんだ。
タイトルに対しての解が自分なりに得られたところで、続いて作中登場する花にも触れていきたい。
読者は花言葉・イメージをご存知だろうか。
作中(side 2ndも含める)、主に出てくる花は「ナルキッソス(水仙)」「ガーベラ」「百合(白)」、「フェニックス」…この辺りか。
フェニックスは舞台に合っているというだけで、大した花言葉を授かっていない為割愛させていただく。
↓花言葉とイメージ
水仙:自己愛-春の喜びを告げる花
ガーベラ:希望・神秘-ポジティブ
百合(白):純潔・無垢ー聖マリアの象徴
ガーベラのイメージ書くことなさすぎないか?
確かに病院へのお見舞いとしては、匂いの観点から最適解だとは思うが…。
花言葉がしっかり作品に生きているのがわかる。
しかし、花言葉とイメージの他に、花にはもう一つ大切なものがある。
それは、本数だ。
作品中では明記されていないが、一体どの花が何本ほど植えてあるのか考えてみるのも、考察として面白いのかもしれない。
例えば、2ndに登場する少女の病室でのワンシーン。百合(白)に言及するシーンがあるが、これが一本だけなら人の心が無さすぎて抱腹モノだ。
もし、この記事を目にしたならば是非とも、他の作品でも花に気を配ってやると良い。新しい文脈が見え、考察が捗るかもしれない。
たった二項目だったが随分な文量になってしまった。まだお付き合いいただけるのであれば、私が作品中に思ったつまらない冗句でも見て休憩してから、次に進んでいただきたい。
・現代で書かれるなら、パジャマはジェラピケを着てるのかな。
曲の歌詞に注目をするべきだ。
どうしても立項したかったのが歌詞についてだ。
小説ではなくノベルゲームとして存在している以上、声・音楽・絵が付随してくる。
その中で皆は何を重点に置くのだろうか。
私はそんな問いを投げかけられれば迷わず『音楽』と答える。
声はなくても考察が効く。絵に関しても描写があるだろう。
果たして音楽はどうだろうか。
それぞれのライターが作品への想いを託して作り上げた、『解答』が眠っているはずなのだから。
世界観を解答という名の音楽で支える作品を好きでいるのだ。
もし前述に共感をしていただけるならば『narcissu』における楽曲を一度耳へ流してやってほしい。
キャラクターが、世界が、蘇ってくるはずだ。
魂から感じて欲しいが故、敢えて歌詞は貼らず、リンクも用意しない事にしている。
自ら作品を完成させる為に手を動かしていただきたい。
私からは一言、「あまりにも解答だった。」と。
最後に。
何事も長尺すぎるのも良くない。
執筆に至った経緯でも述べ、締めるとしよう。
Chapter2半ば頃、犯罪追体験ノベルか?と笑いながら見ていた私は、この記事を書く頃には死んでいた。
片岡とも氏の関与する作品でありがちな点として、「日常の往復」と、「映画のようなライブ感」が挙げられるが、これが正に私の理想にハマってしまっていたのだから。
それでいて冒頭とラストの関係性。
ありふれたメリーバッドエンドを作品内で作り上げ、読み手は更なる外野でそれを見届ける構図に言葉を無くした。
片岡氏の死生観を存分に浴び、気付いたら久々の執筆作業となったわけだ。
読者の諸君。
『narcissu』と『narcissu side 2nd』間における対比に注目をして欲しい。
当ブログを閲覧してくださった皆様なら、新たな出会い…更なる深みに心震えるだろう。
2024/12/4
『名無し』