無礼を煮詰めたコンテンツ批評定食。

サブカル批評コンテンツブログ。

『思索』ノベルゲームと音楽

思索していたことが一つ。

ノベルゲームにとって、音楽が如何に重要なのかという事。

 

ただただ感想というか、想いというか…。

まぁ、自分の価値観を反芻する為に筆を走らせる事にした。

 

コンテンツにおける作品とは、何で構成されているのか。話はそこからだ。

小説であれば原案から起こした文章。

ノベルゲームであれば小説に音と色を乗せたものだ。

最終的に上記全て含めた、常に動くものとしてアニメがある。

 

小説は文章が100%重要視されるのは当然だ。

では、アニメはどうだろうか。

常に動く都合上、アニメーションの質なのか。

いや、殆どの場合で音も常に鳴っている。

一体、何がアニメを重要視するのだろうか。

この答えは各読者に思考していただきたい。

 

さて、本題のノベルゲームについて考えようか。

 

小説<ノベルゲーム<アニメ

 

動きは間違いなくこの関係性となる。

だが注目すべきは、その動きに音がどう絡むのかということだ。

 

例として戦闘シーンを挙げようか。

ノベルゲームでは効果音が初撃で入った後BGMが流れるのが一般的に感じる。

対して、アニメでは上記の流れの後に、効果音が臨場感を伝えるものとして耐えず鳴っていることが容易に想像できるだろう。

 

ここで私は、この例えで言うなら臨場感というものにフォーカスしたくなったのだ。

では、ノベルゲームはどのようにその臨場感を伝えていくのか。

 

無論、音楽に他ならない。

 

音楽に臨場感を…何よりも意味を持たせる必要があるからだ。

情景を伝えつつ、文以外で没入感を感じるべきなのだから。

 

遠回しに綴ったが、要はノベルゲームらしさを生むのは音楽であることが理解できただろうか。

 

ここで更に音楽について深く掘ろうと思う。

読者諸君は、何を以て最高の音楽と定義するのだろうか。

 

ストーリーの文脈か?それともキャラの心情か?

 

否。そんなものはいくらでも転がっているではないか。

どこにでも存在しているモノを最高と言うには、「最」があまりにも可哀想で仕方ない。

ありふれた曲にも、その曲だけが持つ特徴があるはずだ。

「そこに注目せずして好きを語れるものか。」

私は声を大にして言いたいのだ。

 

歌詞だけじゃなく、曲の構成もきっと大いに意味がある。

楽曲に存在する無音に想いを馳せることがないのか。

楽曲の進行において、過去から未来という流れに思考を向けたことがないのか。

 

少なくとも私は、そんな世界観さえも作り上げてしまうような楽曲が…作品が好きなのだ。

 

当然、この在り方を強要しているわけではない。

ただ少しは視点を変えるべき作品があるのではないかと、僅かに心に秘めてるのだ。

 

ノベルゲームにとっての音楽はどのコンテンツジャンルよりも、真の意味での考察が必要になってくる。

前述の通り臨場感・没入感を含めた世界観を最大限伝えるために存在しているものだということで…。

耳を傾けるだけで、その世界が目の前に広がる体験をくれるのだ。

 

あくまでこのページは私の『思索』であるため、記事らしく太字を活用することもなく、文構造にも何にも気を配っていない。謂わば自由帳だ。

拙い感想で申し訳ないが、是非とも一度、世界観と音楽の繋がりに目を向けて欲しい。

 

【魂の評価】『narcissu』

narcissu

同人ノベルゲーム界に死生観という点で、余りにも大きな爪痕を残した偉大なる作品。

 

そんな作品をようやっとプレイ出来たので、

その感想を…このタイミングで。あの冬を思い出しつつ並べていこう。

 

・DLリンク(作品DLページ:steam)

https://store.steampowered.com/app/264380/Narcissu_1st__2nd/

 

・作品詳細データ

サークル『ステージ☆なな』より2005年8月に発売。同サークルの作品には、『雨のマージナル』、『冬のポラリス』等がある。

2000年までの作品は泥酔しながら作ったとしか思えないモノなのでやらなくても良い。

サークル作品情報の詳細『erogamescape -批評空間-』該当ページのリンクを以下に掲載しています。

https://erogamescape.dyndns.org/~ap2/ero/toukei_kaiseki/brand.php?brand=1351

 

・感想

「眩しかった日のこと、そんな冬の日のこと」

1作品目、無印『narcissu』から語る事に。

結論から言えば、2時間強でプレイヤーの感情を破壊してくるシナリオ構成に脱帽した。

あらすじを、キャッチコピーを、冒頭を見ただけで、露骨に"死"を悟れる。

しかし、死への過程の存在とその結末を知っていても、ここまで心を貫く作品があっただろうか。

 

※当ブログでは、ストーリーの詳しい内容には触れずに感想と特徴を展開していく事を、改めてここで、このタイミングで記載しておく。

 

ストーリーに触れずとも感想を介してネタバレを被る事が多々ある為、未プレイの読者はここで踵を返すべきだ。

同様に、この作品に対しての純粋な感想が見たい方々は、別のライターの方の記事を読むことをお勧めしたい。

 

さて、ここらで少し深く、タイトルに思考を向けて欲しい。

narcissu』というアルファベットの羅列を見て不思議に思わないだろうか。

この作品のモチーフになっている「ナルキッソス」の本来の綴りは"narcissus"であるはずだ。

では何故、末端の"s"が省かれているのだろうか。

"s"を省く、即ち"s"が頭文字のマイナスイメージを持つ何かしらの英単語を払拭しているのではないか。

私は、このような思考に辿り着いた。

真っ先に思い浮かぶのは「suicide」-これは、作品冒頭の自殺者データと結末に関与しているからだ。

他には「sick」であったり、「spinster」「servile」等がシナリオの表面上だけなら考えられる。

意味がわからない人向けに辞書のリンクでも載せようと思ったが、あまりにも失礼すぎる為、各読者に委ねる。

しかし、「sick」は不適切で、「spinster」はセツミの口から"生涯の伴侶"という言葉が出ている他、用法的にも怪しいので除外。「servile」は意味的には可能性を感じるが、どうにもやはり、「suicide」と比べると弱い。

 

一旦、"narcissus"-"suicide"で物語に照らし合わせてみる。

「嗚呼、成程。」

これが答えに、一人だけが知る真実に他ならなかった。

つまりは、『narcissu』においてセツミにとっては"suicide"ではない事を意味していた。

あの場に居なかった者はありふれている自殺者の中の1人でしかないが、そうではなかったからだ。

その為に敢えて"s"を省いたのだとしたら…。

 

その考察が意味を成すなら他媒体でも自殺者データは載せろよ何してんだ。

 

タイトルに対しての解が自分なりに得られたところで、続いて作中登場する花にも触れていきたい。

 

読者は花言葉・イメージをご存知だろうか。

作中(side 2ndも含める)、主に出てくる花は「ナルキッソス水仙)」「ガーベラ」「百合(白)」、「フェニックス」…この辺りか。

フェニックスは舞台に合っているというだけで、大した花言葉を授かっていない為割愛させていただく。

花言葉とイメージ

水仙:自己愛-春の喜びを告げる花

ガーベラ:希望・神秘-ポジティブ

百合(白):純潔・無垢ー聖マリアの象徴

 

ガーベラのイメージ書くことなさすぎないか?

確かに病院へのお見舞いとしては、匂いの観点から最適解だとは思うが…。

 

花言葉がしっかり作品に生きているのがわかる。

しかし、花言葉とイメージの他に、花にはもう一つ大切なものがある。

それは、本数だ。

作品中では明記されていないが、一体どの花が何本ほど植えてあるのか考えてみるのも、考察として面白いのかもしれない。

例えば、2ndに登場する少女の病室でのワンシーン。百合(白)に言及するシーンがあるが、これが一本だけなら人の心が無さすぎて抱腹モノだ。

もし、この記事を目にしたならば是非とも、他の作品でも花に気を配ってやると良い。新しい文脈が見え、考察が捗るかもしれない。

 

たった二項目だったが随分な文量になってしまった。まだお付き合いいただけるのであれば、私が作品中に思ったつまらない冗句でも見て休憩してから、次に進んでいただきたい。

 

・現代で書かれるなら、パジャマはジェラピケを着てるのかな。

 

曲の歌詞に注目をするべきだ。

どうしても立項したかったのが歌詞についてだ。

小説ではなくノベルゲームとして存在している以上、声・音楽・絵が付随してくる。

その中で皆は何を重点に置くのだろうか。

 

私はそんな問いを投げかけられれば迷わず『音楽』と答える。

声はなくても考察が効く。絵に関しても描写があるだろう。

果たして音楽はどうだろうか。

それぞれのライターが作品への想いを託して作り上げた、『解答』が眠っているはずなのだから。

世界観を解答という名の音楽で支える作品を好きでいるのだ。

もし前述に共感をしていただけるならば『narcissu』における楽曲を一度耳へ流してやってほしい。

キャラクターが、世界が、蘇ってくるはずだ。

魂から感じて欲しいが故、敢えて歌詞は貼らず、リンクも用意しない事にしている。

自ら作品を完成させる為に手を動かしていただきたい。

私からは一言、「あまりにも解答だった。」と。

 

最後に。

何事も長尺すぎるのも良くない。

執筆に至った経緯でも述べ、締めるとしよう。

 

Chapter2半ば頃、犯罪追体験ノベルか?と笑いながら見ていた私は、この記事を書く頃には死んでいた。

片岡とも氏の関与する作品でありがちな点として、「日常の往復」と、「映画のようなライブ感」が挙げられるが、これが正に私の理想にハマってしまっていたのだから。

それでいて冒頭とラストの関係性。

ありふれたメリーバッドエンドを作品内で作り上げ、読み手は更なる外野でそれを見届ける構図に言葉を無くした。

片岡氏の死生観を存分に浴び、気付いたら久々の執筆作業となったわけだ。

 

読者の諸君。

narcissu』と『narcissu side 2nd』間における対比に注目をして欲しい。

当ブログを閲覧してくださった皆様なら、新たな出会い…更なる深みに心震えるだろう。

 

 

2024/12/4

『名無し』